珍しく土用の丑の日にうなぎを食べた。
家でうなぎを食べる
よく行く魚屋さんで蒲焼を予約して、半分は酒のつまみとして、半分はご飯と共にうな丼にして食べた。
浜名湖のうなぎであり、蒲焼はとても美味しかった。さすがにそれなりのお値段なので年に1〜2回ぐらいしか食べられないけど、こんなにも美味しいものを毎月とか食べていたらバチが当たりそうだ。それほど旨い。
うなぎは大好物なのに頻繁に食べることをちゅうちょする食べ物だ。基本的に高価であるため、いつもは穴子の白焼きか蒲焼をつまみに酒を飲むぐらいで満足できる。うなぎはやはり特別なものだなと思う。
翌日昼食を食べに行くとメニューにうな重という文字があった。1600円だったので注文できなくはないが、昨日食べたからという抑止力が働いてくる。
絶滅の危機が危惧されているうなぎを何度も食べていいのか、という倫理的な思いというよりは、こんなにも高価なものを頻繁に食べるべきではない、贅沢である、控えなさい、という自分への戒めが強いのだろう。
うなぎ屋でうなぎを食べる
うなぎ屋には数回しか行ったことがない。うなぎ屋に行く時は予約するものである、と何かで読んだので予約して出向いた時でも、入店してから焼き始めるのでそれなりに時間はかかる。
うなぎ屋ではじっと待っていればいい。まだですか、あとどれくらいですか、なんて聞くのは野暮だと父が言っていた。いや、祖父だったかもしれない。うなぎ屋は待つものだと教えられた。
そしてうなぎ屋にはとにかく腹をすかして行けとも教わった。但し焼き上がるまで時間がかかるため、ビールをたのんで待てばいい。でもつまみをどうするか。これが一番悩むとこだ。
池波正太郎の「男の作法」という本にはこう書いてある。
おこうこぐらいで酒飲んでね、焼き上がりをゆっくりと待つのがうまいわけですよ、うなぎが。
池波正太郎の「男の作法」より
この一文が心に残っているの。うなぎを食べる前は、ビールと漬物だけで待つのだとこの本から学んだ。
ただ、玉子焼き、いたわさがあれば、注文したくなる。そしていぶりがっことスモークチーズがあるうなぎ屋もあり、それはもう確実にたのんでしまう。そして池波正太郎はこう続けている。
やっぱりおこうこはうまく漬けてあるからね、まず、おこうこをもらって、それで飲んで、その程度にしておかないと、うなぎがまずくなっちゃう。
池波正太郎の「男の作法」より
改めて読み返して、やっぱりビールとおこうこ(漬物)にとどめておかないといけないなと思った。とにかくうなぎは腹をすかして食べる。それが一番旨いのだ。
以前浅草の小柳といううなぎ屋にふらっと入ったことがあった。すいている時間を見計らって入店したのでカウンターには誰もいなかった。
まず瓶ビールをたのむとお新香がついてきた。これでうなぎを待ち続ければいいのだ。でも結局玉子焼きや焼き鳥を注文した。一人なのに。やっぱりお新香だけで待つべきなのだ。
池波正太郎の「男の作法」という本は、文庫本でもKindleでも持っていて、たまに読み返している。でもあまり人には勧められないかもしれない。特に若い人がこの「男の作法」を読むと、読み方によっては爺さんがただ偉そうに他人に対して作法を押し付けてる、なんて思ってしまう可能性もある。
そこは池波正太郎自身も恐縮している感じが「はじめに」「文庫版の再刊について」で触れられている。「どうか年寄りのたわごととおもわれ、読んでいただきたい」と書かれているので、そう思って読んでいけば粋だなあと思う。基本的にためになることばかりだ。
池波正太郎の「男の作法」より
鮨屋
だからね、鮨屋へ行ったときはシャリだなんて言わないで普通に「ゴハン」と言えばいいんですよ。
すきやき
ただ、たまにはうんといい肉で、そういうことをやってみないと、本当のすきやきのおいしさとか肉のうま味というのが味わえない。いつもいつもゴッタ煮みたいなのをしてたらね。
ビール
コップになみなみ注がないで、三分の一くらい注いで、それを飲みほしては入れ、飲みほしては入れして飲むのがビールの本当のうまい飲みかたなんですよ。
次にうなぎを食べるのは半年後か1年後か。うなぎのことが頭からふっと消え、そして急にまた思い出して食べたくなったら食べればいいのだ。
その時は「何も食べちゃだめだよ、おこうこもだめだよ、酒飲んで待ってればいいんだよ」と、さすがに人には言えないから、自分にそう言い聞かせながら、焼き上がりをゆっくり待つようにしたい。