Small Things

感じたこと、考えたこと

日記をつけることで自分を感じることができる

日記をつけ始めた。

万年筆で日記帳に書く日記である。まだ三日坊主にならなかった程度の期間ではあるが、こんなにも「自分」という存在を認識し、一日を振り返ることができるとは思わなかった。

日記に何を書けばいいのか。まずその日の事実だけを書くことにした。これが一番いいと思う。これをした、あれをした、という行為をただ書くことが日記でいいと感じている。そこに感情表現を加えると少しややこしくなる。筆が止まる。そうなると書くことが負担になって続かなくなる。そんな気がするのだ。だからこそ日記はその日に起こった事実だけを書き連ねる。

三省堂国語辞典によると

にっき[日記]

毎日の(個人的な)できごとを書いた記録。

とある。やはり自分が出会った、個人的な「できごと」を書くことが日記本来の役割であり、おおざっぱに気負いなく事実を記録することにしている。

例えばこんな感じである。

「晴れ。昼はきつねそば。帰りにジム。キツかった。夜はフライをつまんで芋のお湯割り。きのう何食べた?の最終回を観る(2回目)」

基本的に自由に書く。思いついたことを書く。そして簡単な言葉でつづる。感情表現を付け加えると少し気が重たくなる。少し考えてしまう。そのことが日記を書く障壁になってしまいそうな気がする。だからこそ事実だけを書く。「ジムがキツかった」というのは感情表現かもしれないが、この時は何も考えることなくスッと書いてしまった。

日記は寝る前につけることにしている。翌日だと記憶が曖昧になってしまうのと、一日を振り返るのであればやはり当日がいいと思ったからだ。そしてスマホにタイマーをセットした。毎日21時50分に「日記をつける」という通知がくるようにしておく。もし21:50に家にいない時はその場でプラス1時間後の22:50に再通知を設定すればいい。

日記をつけるのは時間にして二、三分である。こんなにも短い時間なのに、今日一日の自分を感じとることができるとは思わなかった。これは日記をつけてみないと分からなかったことであり、日記をつけることによって得られるものなのだろう。寝る前の二、三分、このなんとも言えない満ち足りた気持ちになることが、日記をつけ始めたことによる新たな発見であり、それはとても新鮮なことだった。

ブログはブログであり、特に一日を振り返ったりはしていない。そしてどうしても構えて書くため時間もかかる。何より人に見られることを意識してしまうことが日記との大きな違いであり、そこに自分を感じとるという感覚はあまり生まれてこない。

日記にしろブログにしろ「何か役に立つこと」「将来役に立つかもしれないこと」を書こうとすると行き詰まる。そして書けなくなる。よって続かなくなる。役に立つなんて考えないで書けばいいのだけど気にしてしまう。

日記と言うのは自分の記録のために書くものであり、人に見せる必要もない。一日の終わりに自分と向き合い、自分のことを書くことで一日を整理していく。 そこにいつか今日書いた日記が役に立つかもしれない、という意識で書くことはない。ブログも同じだと思う。役に立つ、ためになる記事なんて書く必要があるのだろうか。例えGoogleからの流入でアクセスが1件あったからといって、それはたまたまであり、結果そうなっただけに過ぎない。ブログも日記と同じであって、あくまで自分のために書くことでいいと思う。

たった数日前の日記帳を読み返してみた。本当に数日前なのに、あ、その時はこうだったんだ、と振り返ることができるのだ。たった数日前の「できごと」なのに。

ブログも日記も近い将来、少し遠い将来、ずっと遠い将来、もしくは死んだ後の自分に向けて書く。それでいいような気がしている。