Small Things

感じたこと、考えたこと

週末の午前中の出来事を日記につける爽快感

金曜日がやって来た。

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週末を過ごす

金曜日が来ると、週末は何しようかな、どうしようかな、晴れかな、雨かな、どこか行こうかなと、もういろいろな思いが交錯する。

この考えている時間はとても楽しいのだけど、まず金曜日が終わり、土曜日が終わる。そしていつの間にか日曜日となり、ちびまる子ちゃんが始まり、サザエさんのジャンケンへと時間が進んでいく。そのあと将棋のAbema TVトーナメントを観ていると週末が終わっていく。

結局何もしなかった。いや、何かしたはずだ。でも思い出せない。それであれば、何もやらなかったのと同じだ。まただ。また何もせずに、何も出来なかった週末だったのか。

そしておもむろにブロック塀に頭を数十回叩きつけ、おでこを血だらけにさせながらシャワーを浴びる。そんな日曜の夜。そんなイメージ。

日記をつける

一日の終わりに日記をつけている。日記を書く、というかつけている。日記は「つける」ものだ。

万年筆を使って日記帳に「書く」のだけど...、結局「つける」んじゃなくて「書く」んかいということになるが、「つける」は継続して書きしるすことを意味するので、やっぱり日記は「つける」がしっくりくる。「書く」という言葉に継続性は感じない。単なる作業が「書く」である。

いつも22時ごろから日記帳を開くが、日記は事実だけをつけるだけでいい。あまり感情表現は入れたくない。感情表現を入れだすと、日記自体が重くなってしまう。

事実なのでまず天気から始める。晴れ、雨、曇り。そして朝、セブンのサンドイッチ、と食べたものをどうしても書いてしまう。そして昼、刺身定食。また食べたものである。でも平日の午前中とお昼までは、まぁこんなものだろうと思う。

週末の午前中

そこで週末、土曜日と日曜日の日記は、食べたものを書くというより、午前中にしたこと、やったことを書けるかどうかで決まるような感じがしている。

何が決まるのかよく分からないが、やった感というか、爽快感というか、何か行動したことによる自分なりの小さな成果が午前中のうちに得られたのであれば、それがスッと文字になっていく。

朝一番でウォーキング、そのあと久しぶりに映画館に行って何々を観た、と自然に書くことができたら、これはこれでいい週末だったような感じがするのだ。

自分やった感

そしてエアコンの掃除、テレビの裏のコードの整理、庭の雑草を刈りまくる、珍しく10kmランをした、となると一気にやった感が上昇するから不思議だ。これはあくまで自分比ではあるが、やはりいつもやらないことや面倒な作業を実行に移したとなると、自分やった感が上がっていく。単純だ。

もちろんどこかへ行った、朝からどこどこに遊びに行って何々を買った、と書くことによって充実度も上がってくるのかもしれない。

ただ今はなかなか外出もできないし、どこかに行ったり何かを買ったりするだけではなく、日常の暮らしの中で自分やった感を上げていくことが、週末の過ごし方に変化を及ぼしていくような感じがしている。

いつだって良い週末

但し午前中である。午前中にやってしまえば、午後はもう自由だ。午前中に何かしらやった感が得られて、日記をつける時にそれらを一番最初に思い出せたとき、それは満足できる週末だったということだと思っている。

たまには昼からビールを飲んでもいいじゃない。昼から昼寝をしてもいいじゃない。午前中にもう何かをやったのだから。日記帳にもスラスラとその日のことをしるすことができる。そうしてまた新しい一週間が始まっていくんだと思う。

いつだってブルーマンデー

以前月曜日に佐野元春さんがブルーマンデーをぶっ飛ばせとオープニングに必ず言ってくれるラジオ番組があった。

月曜日は確かにブルーマンデーかもしれないけど、週末の出来事をその日のうちに振り返って日記につけることが出来れば、それはきっといい週末だったんだと思う。

そして月曜日は必ずやってくるのだから、まずは週末の午前中を思いっきり過ごしたい。それを考えるのが金曜日だと思っている。

 

 

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