Small Things

感じたこと、考えたこと

雨の日の本屋と文學界とミックス・テープ

雨が降ると家にまっすぐ帰りたくなる。

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でも本屋には毎日寄りたい。ただ雨の日に本を買うという発想にはならない。紙の本は水が天敵であり、濡れた瞬間もう元には戻らない。

本にカバーをしてもらって、且つ袋に入れてもらえば、小さい折り畳み傘であってもなんとか耐えられるかもしれない。ただ「カバーはお付けしますか?」「袋にお入れしますか?」というあの激しいプレッシャー攻撃が、少なからず僕のメンタルを刺激する。

でもこの日は文藝春秋社の「文學界」という文芸雑誌を買おうと思い、1冊レジまで持っていき、「カバーと、あと袋もお願いします」とこちらから先制して伝えた。

そしてこの書店はクレジットカードで支払うとポイントがかなり付与されるので、クレジットカードを出しながら「ポイントは貯めてもらって、クレジットで」「1回払いでよろしいですか」「はい」という感じに、まぁ月刊誌1冊買うにも話すことが多い。

サンドイッチのサブウェイでの注文も、パンの種類は、トーストは、トッピングは、野菜の量は、ドレッシングは、ドリンクとのセットにするかと、もの凄い量の言葉を発する必要があるが、雨の日に本屋で雑誌1冊買うのも大変である。

「文學界」という雑誌は各出版社が出している文芸雑誌の一つで、連載小説、創作、エッセイ(エセー)、評論等、比較的短い作品が掲載されており月刊が多い。ただ買ってる人、読んでいる人を見たことが無い。

毎月連載されている雑誌小説をずっと読み続けることは稀だし、今月号の宮本輝さんの小説は第56回である。今までの55回をすっ飛ばして56回めから読み始めることなんて到底できない。文芸雑誌のハードルの高さはここにある。

雨の日に本屋に寄ったのに、電車の中ではKindleで本を読む。雨の日に紙の本を電車の中で読んで、落としたり、不可抗力で濡れてしまったらもう終わりである。

濡れた瞬間もう元には戻らない。本の一生は濡れたと同時に終わってしまうのだ。

よって防水のKindle Oasisを出して、今買った「文學界」は家まで濡れないよう完全防水、完全防御で家まで運んでいく。

先日のKindleセールで、向田邦子さんの「眠る盃 」と「夜中の薔薇」を購入した。全作品揃えたいのだけど、「父の詫び状」「無名仮名人名簿」「霊長類ヒト科動物図鑑」「思い出トランプ」すらもまだ買っていない。

いっそのこと立派な全集(もちろん紙の本)を買ってしまおうかと何度も思うのだけど、エッセイだけの巻を選別したとしても、かなりのスペースと重さになってしまう。よって何度となく買うことは無理だと諦めている。

向田邦子全集は図書館で借りる人も少ないだろうから、ずっと自分だけが借り続けることで「全集を所有する」という一生涯の夢を疑似的に達成できるかもしれない。

 

まだ雨は降り続いている。

雨の日は食料品の買い物も億劫になる。たとえば天丼のてんやで天ぷらを買いたい時とか、松屋で「ごろごろ創業ビーフカレー」を買いたいとか、日高屋で冷凍餃子を買って帰りたいとか、毎日様々な欲望が生まれてくるのだけど、雨だとすべてがパスとなる。

コンビニに行くのすら億劫になってしまう。雨のマイナスの威力たるや、とてつもないパワーを兼ね備えている。

家に着いて「文學界」を取り出し、濡れていないことを確認してホッとする。雨の日に本屋に行くと、本の水濡れに気を遣いまくる自分が嫌だ。

この2020年7月号の「文學界」には新連載としてDJ松永「ミックス・テープ」が掲載されている。初回から快調にそして自虐的に苦悩と葛藤が語られていく。とても疾走感のある文章で且つ読みやすい文体が魅力的だ。

ただいずれ単行本か文庫本になるのだろうから、それまで待つか、毎月の連載を読むかの二択なのだけど、この連載は数か月後や数年先ではなくて、今読まないとDJ松永氏の若干前のめりなパッションは伝わってこない。そんな気がしている。

そしてGRAPEVINEの田中和将のエッセイを読み、特集である「疫病と私たちの日常」を読み始める。まさかこれから文芸雑誌の時代が来るのだろうか。電車の中で文芸雑誌を読む人が増えるのだろうか。

来月号の発売日は晴れだったらいいなと思った。

 

 

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文學界 (2020年7月号)

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  • 発売日: 2020/06/05
  • メディア: 雑誌