Small Things

感じたこと、考えたこと

読むはずのない本を選んでいる時間が好きだ

旅行に行くとき、持っていく本を選ぶ。

f:id:rocketboy_miya:20200712162850j:plain

日帰りと1泊とでは持っていく本の冊数がまず違うし、どこに行くかによって本のジャンルも変わってくる。でも必ず紀行文や旅行記のような旅に関連する本は持っていく傾向にある。

村上春樹や沢木耕太郎の本を選ぶ時もあるし、下川裕治、宮脇俊三を持っていくときもある。あくまでもその日の気分であって、そこには特に規則性はない。

ただ残念ながら今の時期は旅行に行くことが出来ない。大好きな沖縄にも行くことができない。いや飛行機も電車も動いているのだから、無理してでも行こうと思えば行けるのだけど、それはまだ早いような気がしている。

Go To キャンペーンの開始日も決まったようだ。ただ、今旅行をしても歓迎されることないのだろうな、と思っている。観光地の方々からしたら、東京、そして神奈川、埼玉、千葉「以外」の人たちに来て欲しい、東京と近県の人たちには感覚的に今は来ないでほしいという気持ちの方が強いのではないだろうか。

よって、今旅行はできないので、ウォーキングも兼ねて、近所を歩いてみたり、隣町に行って買い物をしたりと、ものすごい狭い範囲内で出かけることとなる。

 

f:id:rocketboy_miya:20200712163038j:plain

その時でも一応持っていく本を選ぶ。ウォーキングしながら買い物をして、ちょっと休憩するときに喫茶店に入るかもしれないし、もしかしたらスタバに入るかもしれない。

それ自体に何の根拠もないのだけど、もしもの時があるかもしれないから、持っていく本を選んだりする。近所に出かけるときなんて、絶対本を読む時間なんてないと思うのに、本を選ぶ。

Kindleでも本を買っているのだから、Kindle Oasisだけを持っていけばいいと思うのだけど、KindleはKindleで別ものという意識がどこかにある。Kindleだけで集めていればよかったのだけど、なんとなく統一感がない。

だからKindleはKindleとしてOasisを持っていき、それ以外に紙の本を持っていくという行為が発生する。それも毎日発生するのである。

いや、今読んでる本を持っていくだけだろ、というのでもいいのだけど、いま読んでいる小説は確かに持っていく。でも急にその小説に飽きたときのことをなぜか想像する。

この小説を読んで飽きた時には、この本が適切かも、と考えたりする。なんだか意味のないようでいて、僕にとっては意味のある楽しい時間なのだ。

その中でもかなりの確率で持ち歩く本がある。「思考の整理学(外山滋比古/ちくま文庫)」と、「知的生産の技術 (梅棹忠夫/岩波新書)」は、もう迷ったら持っていく。そして何度も読み返している割には、意外と読んでしまう。

あとphaさんの本を持っていくこともおおい。最近だと「どこでもいいからどこかへ行きたい(幻冬舎文庫)」を持ち歩いている。これも何度も読んだ文章ばかりなのだけど、なぜかひきつけるものがある。

とは言っても、持って行っても読まない時の方がおおかったりもする。旅行に3~4冊持って行っても、一度もページを開かなかった時もあるし、今でも持っていくけど、そのまま読まずに家に帰ってくることの方が多い。

でも紙の本は1冊は持っていきたいのだ。そのためにどの本を持っていこうかと選ぶ時間が好きなのだ。

 

f:id:rocketboy_miya:20200712163120j:plain

今日は法事だった。もう法事なのだから絶対本なんか読まないし、もし本なんか読んでいたら大変なことになる。それでも本を2冊選んで持っていった。読むはずもないのに。

1冊は「思考の整理学」、もう1冊は「活字のサーカス(岩波新書黄版)椎名誠 」を選んだ。もう2冊とも古い本だ。もちろん読むことはなかった。でもカバンの中に紙の本が入っていると、少しだけ安心するのだ。

夜は外で食事をする。その時もまた本を選んで持っていく。読むはずもないのに。 でも少しだけ安心するのだ。

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 
活字のサーカス―面白本大追跡 (岩波新書)

活字のサーカス―面白本大追跡 (岩波新書)

  • 作者:椎名 誠
  • 発売日: 1987/10/20
  • メディア: 新書