Small Things

感じたこと、考えたこと

誰に向かって文章を書けばいいのか

文章は誰か特定の人物に向けて書くものである。

誰に向かって文章を書いているのか。それがとても大切だと感じている。この「誰に」が明確であればあるほど文章、つまりブログは走り出していく。

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「誰に」向かって書いているのかが明確でないと、なんとなく書いている文章になってしまう。そうなってしまうと誰にも届かない。

堀井憲一郎氏の「いますぐ書け、の文章法」の影響を強く受けているので、まず誰に向かって書くのかを意識するよう常に心掛けている。

たとえばそれはリアルな仲のいい友人をイメージする。

お酒が好きで、でも外で飲むのは苦手で、よく食べて、ケラケラと笑う友人を思い浮かべる。その友人(本の中では異性の友人)に向けて書いていく。

それはリアルな友人Aさんである。Aさんがうんうんとうなずいてくれる文章、Aさんが笑ってくれるような文章、Aさんがえっそうなんだと少し驚いてくれそうな文章、そのイメージをもって書いていく。

だからAさん前提で書くテーマを作り出す。自分で勝手にネタを作らない。Aさんが楽しんでくれて、納得してくれるような話を書いていく。

そうするとキーボードのタイピングが止まらなくなる。書くまではどんよりと重く、あまり動いていかない両手が、突然キーボードの上で激しく動き始める。

カタカタ、カタカタ。タイピングが暴走気味に自走していく。

といっても2000字を超えたぐらいからは、文字数を削っていくしかないのだけど、かなりハイになって文章を打ち込んでいくのはとても気持ちがいい。

ただその瞬間が来るときは、具体的にリアルな友人、この場合はリアルな友人Aさんをイメージして書いている時だけである。なんとなく誰に向けてでもなく、今思っていることを取りあえず書いていくときは、そこまで文章は自走しない。

そうはいっても、特に誰に向けて書いている訳でもなく、今自分が思っていくこと、感じていることを、とにかく誰でもいいから今届けたい!俺のこの叫びを!という方もいらっしゃるもかもしれない。

でもそれは届かない。特定の誰かに向けて書いているわけでもなく、その対象が明確でない文章は、ふとブログ記事に立ち寄ってくれた方々には届かない。

いや、そんなことはない、という意見もあるかもしれないが、もしそうであれば、それはもの凄い才能の書き手だと思う。

でも「誰に」ということを意識しないで、すべての人に呼びかける文章を書くのも、それはそれで否定するものではないのだけど、ただ不特定多数の読者、偶然たどり着いた読み手に対してはなかなか届かないと思っている。

ある特定の友人Aさんを思い浮かべて、その人に向けてブログのネタを考える、その人に向けて書く、その人が最初から最後の一文まで読んでくれることをイメージして書き始める。

だとしたら、この記事はどうなのだろうか。この記事はAさんに向けて書いてはいない。読書好きのBさん、文章も書くBさん、そのリアルな友人に向けて書いている。かなり上からだけど仕方ない。Bさんなら偉そうにーと笑ってくれるはずだ。

ただリアルな友人なのでAさんもBさんも読んでくれるのかが問題である。そしてリアルな友人に読まれるとなぜか恥ずかしいという思いもある。

なんだか文章を書くのって難しいな、と毎日思っている。

 

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