ブックオフに行って「おっ」と思った。
本当は紙の本はもう増やしたくないのだけどブックオフには行ってしまう。どうしても行きたい気持ちがまさってしまう。行く前から今日は1冊だけだぞ、もし買うとしても1冊だけだからな、と自分に言い聞かせながらブックオフに向かってしまうのだ。
なぜ人はブックオフに行くのか。紙の本なんて読んでしまったら置き場所に困るのに。人の手に渡った本より新品の方がいいに決まっているのに。こんなとこにいるはずもないのに。
なぜ人はブックオフに行くのか。それは想定していなかった「おっ」と思うような本が棚に並んでいる時が、たまにあるからである。想定していない本との「出会い」と言ってもいいのだけど、そんな「出会い」という、くすぐったいものではない。「出会い」というよりは「おっ」である。単に「おっ」。
基本的には何も響かないブックオフの日の方が多い。これも100円になったんだ、とか。このあいだ買ったけど、こっちの方がキレイだな、とか。正直見慣れた本しかない場合の方が多い。ただ、たまに想定していなかった「おっ」という瞬間が来るときがある。
この日は小泉今日子さんの「小泉今日子書評集」という単行本を見つけた。知らなかった。2005年から2014年まで読売新聞の読書欄に掲載された小泉今日子さんによる書評が97本収録されているのだ。
まさかキョンキョンが読売新聞の読書委員を10年間も務めていたなんて本当に知らなかった。そしてこの書評集が2015年の10月に発売されていたなんて、まったくチェックしていなかった。
2015年、自分はいったい何をしていたのだろうか。まったく思い出せない。おそらくすさんだ生活をしていたに違いない。
もちろん当時この本自体、話題になったのだと思う。でも知ることはなかった。ただ発売から5年経った今、ブックオフで「おっ」と思って手に取ることができた。ブックオフに行かなければ、ずっと知らないままでいたはずだ。
そしてこの本には2005年から10年間、小泉今日子さんが読んで書いた97冊の書評が載っている。もうそれだけで購入するのは必然であり、巡り合わせであり、定めである。
どのような本の書評が載っているのか。いや、それはあまり重要ではない。そこじゃない。小泉今日子さんがどのような表現で書評をしているのか、彼女ならではの唯一無二の視線、そこが重要なのだ。
そして「はじめに」における文がとにかく素晴らしい。
本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと思ったからだった。
この文からこの小泉今日子書評集は始まる。小泉今日子の魅力が詰まった1冊であることはこの時点で間違いないと確信できる。
どうして人はブックオフに行くのか。それは「おっ」という出会いがたまに、ほんのたまにだけあるから通い続けるのだ。