毎日カメラを持ち歩いている。でも日々の暮らしの中で写真を撮るということは、スマホで写真を撮ることの方が普通だ。いつの間にか写真はカメラではなく、スマホで撮ることが当たり前になった。
カメラをカバンから出すと普通の人は驚いた顔をする。確かに居酒屋で突然カバンからカメラを出したりすると「えっカメラ持ってるんですか」と嘲笑するに充分な理由があると言わんばかりの如く振舞われる。
いや、さすがにそれは被害妄想かもしれないが、カメラを出す、驚かれる、苦笑い、という一連の流れは毎回のこととは言え少し面倒だ。
確かにカメラを持ち歩いている人なんてあまりいない。いや、いない。カメラはスマホがあれば十分だとほとんどの人が思っている。
でも出かけるときはいつもカメラを持ち歩く。それはもう習慣なので、それが重いとか、かさばるとかは全然気にならない。
カメラと言っても一眼レフではなく、RICOHのGRやPanasonicのLUMIX GX7MK2という、大きくはないが、すごく小さくもなく、ずっしり重いような、そこまで重くないような、そんなカメラを持ち歩いている。
なぜカメラを毎日カバンの中に入れるのか。持っていってもシャッターを切らない日の方が多いのになぜ持ち歩くのか。
それはカメラを持っていないと不安になるからである。カメラがなくてスマホだけだと、なんとなく落ち着かないからだと思う。
写真は何かを感じた時に撮るものである。何かを感じた時はシャッターを切る。光と影、空と雲、電柱と電線、その瞬間何かを感じたらシャッターを切りたい。
もしその時、今日はカメラを持ってきてなかった、ということがないようにしたいのである。それも毎日カバンの中にカメラを入れている理由の一つかもしれない。
何かを感じたらスマホで撮ればいいのではないか。確かにそうかもしれない。カメラを出して撮るより、スマホで撮った方が早いし、スマホの方が良く撮れたりする。
もしかしたらスマホによるカメラの撮影技術をもっと磨いていけばスマホのカメラで十分なのかもしれない。でもGRレンズやパナライカのレンズ越しに撮影された写真はやっぱりスマホ(iPhoneX)の画像より好きなのだ。
それは自分がカメラの性能、そしてレンズの力に頼っていることを示しているのかもしれない。もしスマホによる撮影技術が今以上あれば、iPhoneXのカメラだって満足出来る写真が撮れるかもしれない。
でもカメラを構えると光と影、明と暗、そして太陽の位置、光、映り込み、逆光等を考えながら撮る。そして進行方向の逆に戻りながら撮ったりする。
カメラだとたくさんシャッターを切る。カメラだと角度を変えて撮る、位置を変えて撮る、時間帯を変えて撮る。ピント位置を変えて撮る。自分で撮る機会を増やして撮り続ける。
平日の会社帰りにそんな状況になることはあまり無い。でも何かを感じた時に、シャッターを切りたいと思った時のために、ずっとカメラを持ち歩いている。