日々の生活には張り合いが必要である。
何かしらの張り合いがあれば、毎日が少しは楽しくなる。
張り合いとは、「かいがあること」「やりがい」のこと。
ただなんとなくこれらは「日々の張り合い」とは意味が微妙に異なるような感じがする。
張り合いがある毎日ということは、何かしらの楽しみ、何かしらの変化、何かしらの充足感が日常に存在することであって、努力するかいがあるとか、そういう感じではない。
努力となると重い。甲斐もなんとなく重い。
毎日普通に過ごしている中で、ちょっとした楽しみに満たされることで、暮らしていくことに張りが出てくる感じがするのだ。
たとえばプロ野球、ジャイアンツ戦。もうスタメンの発表から一人盛り上がる。一人でも問題ない。それが月曜日以外は毎日続くのだから張り合いがある。
Jリーグもひいきのクラブが出る日は楽しみだ。でもふつうにテレビで観れないのが残念。
やっぱりスポーツ観戦は毎日張りが出るなぁと感じる。
そう「張り」とは生き生きとすること、そしてちょっとした意欲が生じること。
毎日体重計に乗ることもそうかもしれない。体重が減っていればより張りが出るが、体重計に毎日乗ることが楽しいのだから、それだって張り合いがあると言っていい。
毎日の昼食、毎日の晩酌、毎日の読書、毎日聴くラジオ。張りまくりである。
そして週末。
週末のリングフィット、週末の古本屋、週末の中古レコード屋、週末の図書館、週末の散歩。
でも週末の休みにあまり予定は入れない。入れても1つか2つでいい。
休日こそなにもしないでボーっとする。週末になにもしない時間があることが、平日に考える楽しみでもある。
日々何かを心待ちにする。そして変化を楽しむ。それが張り合いにつながっていく。