三遊亭圓生のCDを聴いている。
落語はまだサブスクよりもCDがメインということもあり、手持ちのポータブルCDで落語を聴くことが多い。
その中でも今まで聴く機会の少なかった六代目三遊亭圓生を聴いている。
この「圓生百席」というシリーズは何十枚も出ているため、コツコツと集めいていく楽しみもある。
まだ6枚しか持っていないが、おそらく50枚以上は発売されているはずである。
ただ驚くのはこのCD、スタジオ収録なのだ。落語のCDといえばほとんどがライブ収録であり、ラジオ音源をCD化したものも多い。
これがスタジオ収録だとお客さんの笑い声はない。誰も笑っていない。
つまり噺を聴いて笑うのは自分だけなのだ。
このスタジオ録音というのは、かなり贅沢なことのように思えてきた。
映画館の名画座には「笑い屋」という人たちがいる。どう考えても笑えるシーンとは程遠いところで大声で笑う人たちである。
楽しんで映画を観ることはいいことなのだけど、たまにそこで笑うのか、そこで大声で笑うのか、と心底腹の立つことがある。
ただ落語の場合はそこまでの笑い屋はいないのかもしれない。特に録音となると、そこまで突拍子のない笑い声と出会うことはすくない。
それが一切笑い声のないスタジオ録音だと、笑い屋に対するストレスは微塵もなく、笑うのは自分だけである。
それはそれでものすごい異空間である。
ポータブルCDプレイヤーはカシオのPZ-150 。このカシオのポータブルCDというのはいつ発売されたものなのか一切の情報がない。Webで検索しても何も情報が出てこない。
これはこれですごい世界である。何の情報もないカシオのポータブルCDプレイヤーという世界。もう一台カシオのポータブルCDを持っているが、もちろんそれも何の情報もない。
何も情報のないポータブルCDプレイヤーで圓生を聴く。笑うのは自分ひとり。なんだかすごい世界の中にぽつんといるようであり、さっきから一人ニヤニヤしている。