現在夏休み中である。
冬に夏休みを取るというのは、単に遅い連続した休みなのだけど、2021年2月緊急事態宣言下で1週間の連休である。いつものように沖縄に行くことが出来ず、台湾にもいつ行けるのか分からない。でも休みなのだ。
緊急事態宣言下の冬の夏休み
仮に強行して旅行に行ったとしても、キャリーバッグは目立つだろうし、誰にも言わずに、黙って、そおっと行って、結局一人ホテルという事態が容易に想像できる。
ここはまず何かしら旅行以外の予定を立てるしかない。計画は重要である。たぶんそうだ。
予定を立てずになんとなく休みを過ごしてしまうと、AmazonプライムやNetflixを「ながら見」して、スマホをいじって、本を読み始めるもウトウトして、昼寝して、1日が終わってしまう可能性が高い。「市民ケーン」をマイリストに登録してあるが、まったく見終わる気配がない。本当に自分で登録したのだろうか。
テレビで映画を鑑賞し、読書もページが進めば充実感もあり、そうであれば何の問題もない。ただ大抵の場合、映画や本にも集中出来ず中途半端に終わることがほとんどである。これは完全にスマホのせいである。スマホめー!
ただ緊急事態宣言下であるので、家にいることが基本なのだ、出歩くな、と言われれば確かにそうなのだ。不要不急の外出は控えて、家にいるべきなのだという考えが頭をよぎる。さてどうしようかと悩む。でもな、と悩む。
まず喫茶店に行く
朝起きて家でコーヒーを淹れて飲んでいるのだけど、外でコーヒーを飲みたくなる。休みなので急ぐ必要もなく、ゆったりと喫茶店で過ごしたい。
コメダ珈琲は一人客が多いので、皆マスクをしてそれぞれ何かしらの作業をしている。一人席のカウンターに座ると、そこは電源・Wi-Fi装備のテレワーク空間であるが、きょうは休みなのであって、会社にリモート接続する必要もない。
かと言って、ここでスマホをチェックしてしまうと家にいるのと同じになってしまう。よって本を読み始める。
本を読む時間の確保
なぜボヴァリー夫人なのか。それは自分でもよくわからない。でも今日の気分はボヴァリー夫人なのである。たとえ読了したとしても、誰とも語れない本である。でもそれがいい。それでいいのだ。ほっといて欲しい。
本を読むという行為は意識的にその時間を割く必要がある。これは私だけかもしれないが、なんとなく本を読み始めることが出来ないのだ。
本を読むぞ、という時間を確保して本を読み始める。それは電車の移動時間であったり、喫茶店での時間だったりする。
あとは風呂専用の本を用意してお湯に浸かりながら読んだりするが、家でのんびりしている時に本を読むことはなかなか難しい。これは完全にスマホのせいである。スマホめー!
映画館に行く
今、休みの日に出かけるとなると最寄りの映画館ぐらいしか思い浮かばない。洋画の新作がほとんど上映されないので、普段あまり鑑賞しない邦画を観ることになる。「花束みたいな恋をした」「すばらしき世界」「哀愁しんでれら」、洋画では「ダニエル」を観た。
やっぱり映画館に行くのは少し億劫だけど、朝の1本目に売店でコーヒーを買って観る映画は、とてもいい時間の過ごし方だと感じることが多い。コーヒーをすでに飲んでいるのにまたコーヒーである。売店では何かしら買うようにしているが、朝だとビールではなくコーヒーになる。
平日の朝なので場内はがらがら。でも結局みんな後ろの方の真ん中に集中するため、少し横にするか、前にするかで、もうデーンと座って、足を組みながら、マスクをしっかりつけて鑑賞する。
そして映画はなんの情報もなく観ているため、あらすじも、誰が出ているのかも分からない。だからなのか、それぞれの作品がなかなか印象深い。
「哀愁しんでれら」なんてまぁ凄かった。とてつもなく興奮してゾクゾクした。最高なのだけど、二度と観たくない、そんな映画である。
新人監督による完全オリジナル作品であり、主演の女優がオファーを3回断ったとか、まぁそれぐらいの情報だけで観た方がいい。あまり話題になっていないようだし、特に観終わったあとも話す相手もいない。
「花束みたいな恋をした」も突っ込みどころ満載であり、誰かと話したく映画である。ただ、今は謎の夏休み中だし話す人もいないけど、それはそれでムフフと思っていればいい。ムフフ。気持ち悪いけど。
今までだとここから中古レコード屋と古本屋をぶらぶらするのだけど、さすがに緊急事態宣言下、はしゃぎ過ぎかもしれないので、早めに帰って、またコーヒーを淹れて何かしよう。
何ってなんだ?そういう時は整理整頓と掃除である。まずはハヤカワのポケミスを整理して、そして今日は新聞紙で窓やガラスを拭いてみよう。森三中の大島さんがYouTubeでやっていた。森三中は好きなのだ。
さて明日は何をしようか。考える。きりがない。 でも喫茶店からだな、と思う。