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宴会・飲み会が無い日常へ

もう宴会とか飲み会は無くなっていくのだろうか。

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宴会・飲み会があった日常

コロナ危機以前は、歓迎会、送別会、忘年会、新年会、暑気払い等、会社において、いろいろな名前の付いた宴会や飲み会が行われていた。

その中でも歓迎会や送別会を開催しない、欠席するということはなく、自分に対してもやって頂いたのだから、年数回参加することはある意味当たり前だと思っていた。

忘年会も暑気払いも年一回だし、初めての店だったりすると興味もある。元々お酒は好きな方なので、実はコースメニューや飲み放題メニューに一喜一憂していた感じである。

楽しい飲み会と憂鬱な宴会

自分はどちらかというと一番上になる世代であり、歓迎会、送別会、忘年会を企画する立場でもあった。

せっかくやるのであれば、来てよかった、楽しかったと思ってもらえるような店を選んでアテンドをしたり、出欠も自由にして、会費もなんとかする立場だった。

そんな中でも、もっと偉い人たちのいる宴席で、マイクがあって、きっちりした乾杯の音頭、締めの挨拶、三本締め、なんかを依頼される事も実は多かった。

基本的にそのようなスピーチ自体が得意ではないし、毎回何を話そうかと考え、もちろん依頼された時から緊張が続いていく。ずっと憂鬱だったことも幾度となくあった。

そのあと二次会が必ずあった時代もあり、そうなったらもう食べて飲んで、その場は突っ走るしかないと決めていた。

宴会・飲み会が無くなっていく

その宴会や飲み会がついに無くなりそうな雰囲気である。

もう2020年2月から4ヶ月近く、飲み会も宴会も無い状況が続いている。今宴会をするなんてもってのほかという雰囲気であり、同時に気の合う仲間との軽い飲みもなくなった。

夜の街、クラスターというキーワードがニュースを賑わせたこともあり、接待を伴わない普通の飲み会だとしても、やってはいけないという自粛モード、不謹慎モードが漂っている。

これは酒が好きな自分としては、一人飲みも出来ず、気の合う仲間とも飲めず、会社の同僚や部下とも飲めず、よって一人晩酌するという流れが少し寂しいような、それでもまぁいいかなという、表現が実に難しい状況に落ち着きつつある。

ホッとする気持ち

スピーチや挨拶がもうないのだと思うと、やっぱりホッとする。そして数ヶ月に一度とはいえ、時間的に拘束されなくなるので、それはそれで精神的にとても楽だなと思う。

ただその分時間が有効に使えるようになったかと言うと、夜に一人居酒屋に行くことも難しい状況だし、毎日家に直帰するしかない。でもそれはそれで毎日晩酌の楽しみ方を覚えていくことで、それなりに楽しくなっていくものだと感じている。

既存スタイルの難しさ

宴会と言えば大皿スタイルだった。一人一人に小皿で提供されるのは7000円ぐらいからだっただろうか。

でもこの状況下で大皿での取り分け、そしてコース定番の鍋、そして向かいあわせで距離の近い席、かなり密な空間での飲食と会話、たまに大声、笑い声。本当に難しい状況だなと思う。

今までは大人数での飲み会って普通だった。自分のテーブル周辺の人達としか話すことが出来ないのに、参加することに何かしらの意味があった。いや意味を見出していた。

それはチーム全員で送別する、チーム全員で打ち上げる、チーム全員で1年を締めるという「みんなで」という意味合いが強かったように思える。アニメSHIROBAKOにおける打ち上げシーンにおいても、違和感なんてまったくなく、その光景は感動的ですらあった。

宴会・飲み会が無くなっていく日常

でもこの数ヶ月において、宴会や飲み会がなくても、それが当たり前であるかのような日常を過ごし、歓送迎会という習慣すら無かったかのような日々を過ごしている。

異動で同じ部署になった新しい仲間、部署を離れていく同僚、今は歓送迎会の企画も難しい状況であり、この時期だから仕方ないよね、という暗黙のほそくてうすい何かで仲間・知り合いがぎりぎり繋がっている。

そして「職場内クラスター」という新たな言葉も登場してしまった。今後はより一層、在宅勤務が加速していくのだろう。

 

もう宴会や飲み会は、以前からやっていなかったかのように、このまま無くなっていく感じがしている。

 

 

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