マスクを着ける夏
マスクを着用する初めての夏が始まった。
今までマスクと言えば風邪で咳が出る時に着けるぐらいで、普段からマスクを着用するという習慣など無かった。それがもう外に出れば必ずマスクである。
外を歩いてる時、周りに人がいなければ、できる限りマスクは外したい。ただ前を見て向こうから歩いてくる人の姿が見えたり、犬の散歩をしている人、走ってくる人が見えると、もうマスクを着けるしかない。
ただ外は暑い。ものすごく暑い。それでもマスクを着ける夏がついに始まった。
熱いコーヒーの夏
夏が来て暑くなっても普段は熱いコーヒーを飲む。アイスコーヒーはあまりに飲むことがない。暑い中歩いてきて、冷房が効いている部屋に入って熱いホットを飲む。
暑いときに涼しい部屋で熱いコーヒーを飲むという行為は、冬に温かい部屋で冷たいアイスクリームを食べるのと似ている。似ていないようで似ている感じがする。
だからあまり違和感はないと思ってる。ただ少しだけハードコア感がある。
コーヒーを飲み終わった後にマスクを着けることには少し抵抗がある。マスクを着ける前には水を飲んでからマスクを着ける。なぜかそうしている。
ニンニクの夏
食事をする時はマスクを外す。ただそれ以上に、手を洗ったり消毒したりと気を遣うことが多くなった。マスクを着けるようになってから、美味しいけど臭いが気になるものはあまり食べなくなった。
餃子とかラーメンとかガーリックなんとかとか。ようはニンニクなのだけど、食べた後に水を飲んで口の中をすっきりさせたとしても、その後マスクをして臭いを閉じ込めている感じがするので少し抵抗がある。ハードコア感が増長する。
「無」になる夏
暑い中マスクをして歩いていると、たまにハァハァと息が切れ、人がいない通路に入ってマスクを外す時がある。夏の暑い日にマスクをするのは初めての経験だが、これは完全にハードコアである。ハードコアパンクと言ってもいい。
人通りのある道をなるべく避け、遠回りになったとしても空いている道を選ぶようになった。そして息を整えながら無心で歩いていく。マスクを着けると人は「無」になるような気がする。着けてる時は「無」になるしかない。マスクを外せる時が来るまでは、ひたすら「無」となる。
夏でも電車の中は涼しい。そしてもう全員がマスクを着けている。マスク無しという選択肢は存在しない。乗客全員がマスク着用、ほぼ全員無言、よって「無」。やはり「無」になるからなのか、満員電車におけるクラスター発生というニュースはまだ聞いたことがない。マスクを着けるとそこに「無」の世界があることに気づくことになる。
お湯割りを飲む夏
とんでもなく暑い夏、たまに冷房が効きすぎた部屋で芋焼酎のお湯割りを飲むときがある。ハードコア感はもちろんあるが、冷房が効いていれば芋のお湯割りは夏でもいけると思う。そして旨い。以前通っていた居酒屋では夏でもお湯を用意してくれた。夏に飲むお湯割りも完全にパンクだ。
暑い日のホットコーヒー、暑いからこそのホットコーヒー。暑い日の芋のお湯割り。暑いからこその焼酎お湯割り。暑い日のマスク、暑いからこそのマスク。
マスクはパンク
夏はハードコアである。パンクである。
マスクでより一層、パンクな夏になりそうだ。イギーもマスクをしているのだろうか。
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