Small Things

感じたこと、考えたこと

コロナの時代も満員電車は無くならない

満員電車がまたやってきた。

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そう、電車がますます混んできているのだ。まだ本が読めるくらいの混み方ではあるが、かなりの密集具合に今更ながら驚いている。相変わらず満員電車だけは政府も知らんぷりを貫いている感じだが、実際満員電車でクラスタは発生していない。クラスタかどうかを追跡できないだけなのかもしれないが、それでも満員電車との日常がまた始まっていくのだな、と実感する。

車内においては、ほぼ全員がマスクをつけており、会話自体があまりない。以前から通話も禁止され、窓開けによる換気も加わったことで、クラスタを発生させてこなかったのかもしれない。ただ、そもそも電車だとクラスタの追跡自体が困難なような気がする。よって今まで電車内の感染は、感染経路不明者数に加算され、満員電車がクラスタ発生源かは定かではない、ということなのかもしれない。

そのような状況で、日本の満員電車とライブハウス、スポーツジム等を比較すると「話す」そして「飛沫」の量が原因なのかな、と思ってしまうことは普通である。そんなことを素人が考えてもあまり意味がないのだけど、いま何を信じていいのかわからない中、そして満員電車に乗らざるを得ない状況において、やはり自分なりに考えて、感染対策を打つ必要があるのではないか。となると、電車では窓が開いている車両に乗り、マスクをして喋らない、喋ってる人がいたら退避し、つり革につかまったとしても、その後の手洗いと手指消毒を徹底する。これまた当たり前なのだけど、それぐらいしか自分を守る方法はないような気がしている。

そうは言っても、まずは人と人との「距離」なんだろうな、という考えも変わらない。「ソーシャル・ディスタンスの考えはマスクをしない欧米人のための施策」と言われても、まぁそうかもしれないけど、飛沫のこともあるのだから、距離はとても大切なんだろうな、ということは理解している。でも電車ではむりだ。

そして人は顔を触りまくる。「コンテイジョン」という映画の中でも人は1日2000回だか3000回顔を触ると言っていた。よって「手洗い」「手指消毒」も常に意識していく必要がある。そして人と人との「距離」が確保できない場合は「マスク」。まぁ当たり前と言えば当たり前なのだけど、自分が納得する当たり前の感染対策をしつつ、満員電車込みの生活をしていくしかないのだと思う。

不特定多数の人が集まって喋る、そして飛沫が飛ぶ、そのような状況にある場合はリスクが高まると考えると、映画館は安心出来るレジャーなのかもしれない。あとは美術館、博物館。話さない、飛沫飛ばない、換気がされている場所はリスクが軽減されていく。

さて今週末はどうしようか。まずは映画館が安心そうである。近くの映画館の予約状況を確認したところ、なんと3席おきに座るらしい。大胆で安心できる対策である。ただ、やっぱり黙ってこっそりと行く必要はある。そして何の映画を見たかなんて誰にも言わず、SNSにも書かない方がいい。まだまだ自粛警察は多いし、今は何をやっても不謹慎とされる不謹慎警察もいる。まずは自分で安全性をはかり、感染対策を行って場所を決め、隠密行動するしかない。そういう意味では、大好きな居酒屋でのひとり飲みはまだまだ悩ましい。飲食はマスクを外す、そして話す、飛沫が飛ぶ、リスク高すぎな感じである。でも今までもカウンターで一人黙って飲んでいたんだった。

しかし、このコロナの時代は、本当にあと4〜5年も続くのだろうか。今はまだ、喋らない、飛沫飛ばさない、換気、とか言ってるものの、あと4, 5年もこれが続いていくかもしれないな、という覚悟はまだ持ち合わせていない。

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