Small Things

感じたこと、考えたこと

濃度高めの日曜日を無事に過ごす

日曜日は朝からなんだか忙しい。予定がなくてもなんだかせわしない。

最近は寒いこともあり、夜に居酒屋へ行くことも少なくなった。寒いと夜道を歩いてどこかに向かうということ自体が億劫になる。特に日曜の夜は家で晩酌をすることがほとんどだ。翌日仕事ということもあり、深酒しない程度に芋のお湯割りを飲みながら、NetflixやPrimeVideoを見て過ごすことが多い。そして日曜の夜は普段あまり見ないテレビドラマが待っている。ある程度楽しみではあるが、NHK大河ドラマとTBSドラマの連続はズッシリと重くのしかかり、加えて濃度も高い。

ただここに辿り着くまでにもいろいろあるのが日曜日である。まずは何をおいても休日といえば風呂である。休みの日はゆっくりと風呂に入ることができることが楽しみであり、先日ついに風呂専用の文庫本で小説を読み始めることになってしまった。

ここ数十年間、小説を読まずにビジネス書や新書ばかりを読んできた。ただ本来読みたいのは小説なのだ。いま読みたい本を読まなければ、読みたくても読むことが出来なくなる日が、いずれ来てしまうかもしれない。老眼が今以上に進み、本を読むこと自体が困難になるかもしれない。もしくは目の病気になる可能性もある。だからこそ今読みたいと感じた本を読もうと思った。

ただそのブランクは大きい。学生時代から主にミステリーを読んできたが、読まなくなってかなりの年月が経つ。まずはコツコツと90年代、00年代のミステリを読んでいきたい。でも今から読み始めて間に合うのだろうか。

というのも新刊も日々発売されているからだ。新刊に関しては書評や評判が出回る前に自分で本を選んで買うという行為が発生する。よって、これは、と思うものを自らの直感で買うしかない。基本的に中身がよく分からずにお金を出して本を買うという行為はギャンブルである。だからこそ本を選ぶ時は真剣になる。そしてじっくりと読み進めていく。

図書館で本を借りることもあるが、なぜか集中力が途切れることが多く、いつのまにか返却日を迎えてしまう。比較的きれいな本だと読み終えるのも早いが、本の状態が良くないと読むスピードが途端に遅くなり、常に本の状態、汚れ具合、スピン(しおりひも)の状態が気になって仕方がない。自分で買う古本に関してはヤケがあってもさほど気にならないのに、図書館で借りる本はどうにも自分に合わないことが多い。しかしなぜそこまで汚すのだろうか、と思ってしまったら最後、読むこと自体をやめてしまうことも少なくない。めんどくさい性格である。どうも図書館で借りること自体が合わないようだ。

昨年もかなりの新刊を自分で選んで読んできたが、本当であれば、誰も読んでいない本を読みたいと思う。ただ現実的にはそれは難しいことであり、実際自分が直感で選んだ本が「このミス」や「本ミス」に選出されているのを見ると、書評を読まずに選んだとしても結果そうなるのか、と苦笑いして終わる。ただ今でも毎日書店に足を運び、自分で本を選んで買って読むということを大切にしている。それを続けていくと、あまりつまらない本を引くこともなくなった気もする。

それで風呂専用の文庫本とは何なのかというと、まず宮部みゆき「火車」である。今更である。今更なにごとだ、という感じかもしれない。1992年に上梓され、このミス2位、文春ミステリー1位、直木賞候補作であり、世の中に書評が溢れている作品ではあるが読んでみたいのである。電子書籍化はされていないので文庫本で買うしかない。

そして次に読むと決めているのは高村薫「レディ・ジョーカー」である。これもまた今更である。なぜ?となる。そして電子書籍化されていない。でも読んでおかなくてはいけない感じがするのだ。実はマークスの山も未読なため、順序的にはマークスからか。でも果たして読み終わるのだろうか。長いのだ、レディ・ジョーカーもマークスも。

のぼせながら風呂から出て、すぐさま麦とホップを開ける。うまい。そして20時から大河ドラマが始まる。ここからの2時間がなかなかヘビーである。まだ大河は楽しんでテレビに突っ込みながら見ることができる。ただその後のTBSのドラマが重い。重過ぎる。もう一度風呂に入って本でも読もうかと思ったりもするが、ドラマを集中して見続ける。ストーリーが怖い。怖すぎる。そしてなんとか見終わった後はなんだか疲れ果てて「もう寝るか」となる。

また濃度の高い日曜日が終わった。来週もまた濃いめが来るのだろうか。