休みの日は、朝、風呂に入る。
冬だからってこともあるが、風呂にお湯を張って入ることがとてもホッとする。夏だと帰ってきたと同時にシャワーを浴びるしかないが、冬の方がゆったりとした気持ちで風呂に入ることができる。
風呂というのは入るまでが、なんとなくめんどくさい。そして冬は入る時に服を脱ぐこと自体が寒い。できることなら服のまま入りたいが、現実的ではないため震えながら服を脱ぐ。急に寒い局面がやってくる。
実は我が家の風呂には「暖房」というモードがある。これはこれで素晴らしい機能だと思っており、ほんと温かいのだ。ただ当然だが脱衣所は寒い。そこでの数十秒間を耐え凌げば、暖房状態の風呂という楽園とも言える空間が広がり、一気にカラダを洗ってしまおうというモチベーションにつながっていく。
ただこの暖房だが、付けると結構な頻度で家のブレーカーが落ちる。よってリビングやダイニング、そして他の部屋における電気を切ってからでないと、あっけなくブレーカーが落ちることとなる。楽園が一気に崩れ去り寒々とした世界への転落。よって最近は暖房を付けることが少ない。この暖房機能は必要だったのだろうか。
男なので、頭を洗う、カラダを洗う、髭を剃るぐらいしか作業的なものはないが、それでも淡々とこなしていくこと自体が億劫だなぁと思う時がある。でも冬は一通りのことが終わって、お湯に入った瞬間の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。ここに冬の風呂の醍醐味が集約されている。
ただお湯に入った瞬間「ちょっとぬるい」と思うことが多い。「保温」というモードであってもお湯は冷めていくのだろう。そこでおもむろに「追い炊き」を押す。そして徐々に温かくなり、それが熱くなっていくことが少し楽しい。
最近は休みの日の朝に風呂に入る。
前日は前日で入っているのだけど、酒を飲みすぎたり、夜更かしして朝眠い時など、風呂の効果は絶大である。平日の朝に風呂に入ってお湯につかることなんて無理なので、これこそ休日だけの楽しみだ。
そして本を読む。風呂で本を読むなんて、いけないことだとずっと思っていた。子供のころ本を風呂に持ち込むなんて親に絶対叱られるので、風呂では歌を唄うしかなかったような記憶がある。大人になっても風呂でお湯につかりながら本を読むということは、してはいけないことだという認識のままだった。もちろんそれは紙の本が風呂場にあるという衛生面でのこと、そして紙の本が濡れるという事態から逃れられないということにある。紙の本は濡れたらその生涯が終わる。もうその本を貸すこともできないし、売ることもできない。廃品回収に出すだけである。
ただそもそも古本で買ってきて、そのまま本棚に収まり、あとは捨てるしかない本もある。そして今は防水機能が搭載されたKindle PaperwhiteやOasisもある。防水構造を持つ端末はKindle Paperwhite(第10世代)、Kindle Oasis(第10世代)、Kindle Oasis(第9世代)であり、防水等級IPX8に対応されている。深さ2mの真水に60分沈めても有害な影響はないらしい。これは心強い。
そして今Kindleに付けている純正のファブリックカバーは水に強いと書いてある。ということはカバーをしたまま風呂で使うことも可能なのか。でも結局は濡れたら乾いたやわらかい布で拭く、次に端末の側面を軽くたたきUSBポートから水抜きをする、そして風通しのいい場所でUSBポートを下にして端末を立てて乾かす、というちょっとした手間が入る。
今まではお湯につかりながら、古本でダブって買ってしまった文庫本や、既にぼろぼろになってしまった文庫本を読む事が多かったが、Kindle Paperwhiteを持ち込むことに慣れてくると快適である。 長風呂はあまり得意ではないため、向田邦子、角田光代、浅田次郎等のエッセイを読む事が多いが、先日何十年かぶりに、いとうせいこうの「ノーライフキング」を読み始めてしまった。そういう時は必ず長風呂になってしまう。
以前読んだ本を再読するのはとても危険である。常盤新平「遠いアメリカ」、沢木耕太郎「深夜特急」、片岡義男「彼のオートバイ、彼女の島」、中島らも「今夜、すべてのバーで」「ガダラの豚」も一度読み始めたらあっという間に時間が経ってしまう。
でも今日は休日である。だからいいのだ。