Small Things

感じたこと、考えたこと

スピーチでは笑いをどこかに入れたくなる

スピーチで笑いを入れるかどうかいつも悩む。

ここで言うスピーチとは、披露宴の主賓スピーチ、立食パーティや懇親会での乾杯や締めのあいさつ、そして普段の飲み会での乾杯、締めのように、いろいろなお酒の場があり、そこではほぼあいさつやスピーチがある。基本的に何も考えていない状態でのぞむと、支離滅裂な締まりのないスピーチになってしまうので、まずもってグダグダで終わる可能性が高い。やはり乾杯の音頭にしても、軽いスピーチにしても、話の流れだけは考えていくようにしている。

そこで笑いのパートをどうするかである。もちろん真面目なスピーチは淡々と話していけばいいので、それが短時間で終わるのであれば誰にも迷惑をかけることなく終わっていく。それに関して特に「まじめでしたね」などと言われることもなく、いつの間にかそのスピーチ自体が参加者全員の忘却の彼方に消え去っていく。それはそれで理想かもしれない。儀式としてはそつなく終わり、自分の役目も果たしている。

そして参加者においても「笑いは必要なく、短く終わってくれ」というものでほぼ占められている。披露宴の場合は新郎の上司に笑いは求めてなく、比較的大スベリして参加者の方が居心地の悪さを感じてしまうことが多いのも事実。そして笑いよりも新郎新婦の人柄がわかるようなアゲる話で進めていく事が大切なのである。

特に乾杯前の主賓のあいさつは新郎側になるとトップバッターであり、それこそ会場全体が緊張で包まれているため、終始新郎をアゲていきながらも真面目な話で終わっていくことが多い。ただある披露宴で最後の新郎のお父様のご挨拶の時に、主賓それぞれの挨拶の中からキーワードとなる言葉をピックアップされて述べられた時があり、心に残る決めワードの必要性も大切なのだと思った。笑いどころではないのだ。

ただどうしても新郎や新婦のエピソードで少し笑いを入れようかという無粋な気持ちに揺れてしまう。新婦側の主賓の時は真面目1本で進めていくしかないが、新郎側だとちょっとだけエピソードを入れたくなってしまうので困る。

懇親会や立食パーティでの乾杯の挨拶や締めの言葉においても真面目なスピーチでいいのだけど、話しているこちらも辛いし、聞いている方も辛いし、じゃあここで何かしら和みパートでも入れておこうか、という気持ちに揺れてしまう。スパッと短く少し笑いも交えて1分で終える。これがいい、と一人納得する。

一方部署の飲み会なんかは、お疲れさまでしたーこれからも頑張っていきましょーかんぱーーーい、のみで何の問題もなく、笑いとか特に必要ないが、ここでも少しは笑いを入れておくべきだったかな、と思う時もあるから困る。ようは自分のスピーチの柱が未だに確立されていないのである。

しかしもう何かあるたびに今回は乾杯のあいさつ、今回は閉会のあいさつと手締め(←この手締めが一番きつい)、今回はスピーチ、今回はまた乾杯と、それは仕事の一環としてやらざるを得ないのだけど、さすがに持ちネタだけでは難しく、結局笑いを入れておくか、という気持ちになってしまうのは一体何なのだろうか。

今までの経験から言うと、エンタメ系のネタ、例えばクイーンのボヘミアンラプソディーで泣いた、グランメゾン東京で泣いた、誰々とプロジェクトの打ち上げで泣いた、といった自分が泣いた系とリンクさせたり、自分を程よく落としたり、先程こんなことがありまして、とその日、その時起こった事をすぐさまその場でスピーチに入れる事は、比較的笑いが起こりやすい感じがする。

よって披露宴の主賓の時は終始真面目にいくとして、通常の乾杯や締めの時は、多少の和みネタ、今起こったネタ、最近のエンタメネタ、程よい自虐ネタ等を組み入れて1分以内に終える。結局笑い入れるのかよ、という事にもなるが、こればっかりは仕方ない。とにかく短時間、1分で終わればいいことにする。

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